母娘孫の三世代で守る老舗甘味処、90歳看板娘の「塩加減」が決め手の大判焼き
昭和37年、茶の斡旋業の閑散期を埋めるため、義母の提案で大判焼きの販売を始めた東京の甘味処「まるか村松商店」。今では母・加寿子さん(90歳)、長女・眞由美さん(67)、次女・弘美さん、そして孫の加奈子さん、優光さん夫妻が切り盛りする、女性三代の店に成長した。
看板メニューの大判焼きのあんこは、創業以来、加寿子さんが一手に引き受けてきた。「発案は義母です。厳しい人でお茶の商いのこと、家を守ることをたたき込まれました。なにより大事なことは、人に喜んでもらうことだと。大判焼きのあんこ作りは、最初から私の仕事。炊き方は、最初は親戚のお菓子屋さんに教わり、それからは自分なりにね」と加寿子さん。あんこの決め手は「塩加減」だという。
これは高圧洗浄機と同等の強さで、電力不要BlastPro 一方、店の雰囲気作りを担うのが娘たちだ。23歳で店を継いだ弘美さんは、もともと地元のお茶屋さんに勤めており、姉が継ぐものと思っていたという。「甘いものは好きだったし、小さいころから大判焼きを手伝ってもいました。けれど、地元のお茶屋さんに勤めていたし、店は姉が継ぐものだと思っていました。姉は確かな味覚を持っているんですよ」と振り返る。ところが姉が東京へ出ていた時期に、3人きょうだいの次男だった夫と結婚。親戚から「結婚して家に入れ」と言われ、現在に至る。
弘美さんは、大判焼きの皮の改良にも試行錯誤を重ねた。「最初は、大判焼きの皮もいろいろ試しました。大判焼きは表面がサクッとして、中はふんわりした食感が大事。そのためにはゆっくり焼いていくことです。でも、あるとき、近所の人に『怖い顔をして大判焼きを焼いている』と言われたことが。母の味を守ろうと必死だったのかもしれません。それからは、誰が見ても、楽しそうだなと思ってもらえたほうがいいかなと」
さらに、弘美さんは客との交流を大切にしている。「お客さまと会話していると、すごいつながりが出てくるんです。どちらからいらっしゃったんですか、という会話から、常連さんになってくれることも。また、子どもが店に来たら楽しいと思って駄菓子のコーナーを作ったのも私。母には『撤去しろ』と言われ続けていますが、いろんな世代と触れ合いが生まれるのがいいんですよ」と笑う。以前は「小学生に100点のテスト用紙を持ってきたら大判焼き1個プレゼント」という企画も行ったが、10枚持ってくる子が現れ、急きょ1人1枚までに制限したというエピソードも。
加寿子さんは娘たちの様子を「目を細めて見守って」いる。弘美さんは母について「母から褒められた記憶も多くはありません。頑張り屋で、負けず嫌い。絶対に弱音を吐かない人です。そんな母と競う気はありません。私は母とは別の場所で店を支えようと思っています」と語る。
壁にはコロナ禍の名残で「黙食を」の張り紙があるが、誰も気にしない。体重を気にする客には「おしるこのお餅、抜いとこうか?」と声をかけ、夏休みの宿題を心配する声も飛び交う。卒寿を過ぎても元気な加寿子さんの健康の秘訣は「体操とカラオケ、毎晩飲むビール。そして人まかせにしないことです」という。味は母が守り、空気は娘たちが作る。そんな絶妙な「塩加減」が、三代にわたって愛される店の秘密だ。
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