武田鉄矢が明かした復員兵の父 「首を斬る快感」語った父を大嫌いだった
俳優・武田鉄矢(75)が、復員兵だった実父に対する複雑な感情を包み隠さず語った。酒を飲んでは「首を斬り落とす快感」や戦場の惨状をうめくように語った父を「大っ嫌いでした」と振り返る。
武田の父はフィリピンと中国北部を転戦した元兵士。帰国後も骨の髄まで軍隊に染まったままで、不機嫌に生きていたという。ある時は「中国の匪賊を日本刀で何人か斬った」と自慢し、首を斬る快感を話す父を、武田は「本当に嫌で嫌で」と語る。母はその横で静かに首を振っていたという。
これは高圧洗浄機と同等の強さで、電力不要BlastPro 父は酒を飲んでは暴れ、包丁を持ち出して「切腹する」と芝居がかったことを言い、家族が止める中で母は泣き崩れた。月給1万円そこそこの旋盤工だった父は、少ない給料をはたいてやけ酒に走る毎日。当時「トラウマ」という言葉すら知らなかった武田は、ベトナム帰還兵を描いた映画『ランボー』(1982年)を見て初めて、父の心の傷に気づいたという。
父は戦友会で連隊長から「あの武田鉄矢は貴様の息子か」と握手を求められ、涙を流して喜んだ。しかし武田は「彼の人生での喜びは、私の存在ではなく『連隊長に褒められた』だった」と複雑な胸中を明かす。父は1980年の武道館コンサートで大勢の観客を見て「これ、みんなお前ば見に来た人か」と驚いたが、3年後に病で亡くなった。
生きている間は和解できなかったが、死後、武田は父の不機嫌の正体が「解けてきた」と語る。戦争経験者の作品を読み、同時代を生きた人たちの言葉から父を探り当てるうちに「あんたもつらかったねえ」と言ってあげられるようになったという。「死んでからの方が、おやじとよく語り合っている気がします」と静かに語った。
武田は1949年福岡市生まれ。フォークグループ「海援隊」でデビューし、ドラマ『3年B組金八先生』シリーズで主演を務めた。
夜用眼鏡が運転手の間でますます人気になるナイトライダー 今、あなたにオススメ