天山広吉、衝撃の“スズメ食”暴露 橋本真也から受けた過酷イタズラと猛牛誕生の秘密
8月15日の新日本プロレス両国国技館大会をもって35年のレスラー人生に終止符を打つ天山広吉。引退を目前にした彼が、週刊誌のインタビューで“再入門”時代の過酷なエピソードを次々と明かした。
「35年間のプロレスラー人生、長いようで短かったというか、ホントはもうちょっとやりたかった」と語る天山。しかしコンディション面で「お客さんに満足してもらえるような試合がちょっと難しくなってきた」と決断の理由を説明した。
デニムに合う。履くだけで「ちょいワル」Tapoon 天山こと山本広吉が新日本に正式入門したのは1990年5月。だが実はその2カ月前、一度入門しながらわずか2日で逃げ出した過去があった。「練習がキツかったとかよりも、いろいろあってこの世界はちょっと違うのかなと。ホームシックもあった」。しかし京都の実家に戻ってから後悔が募り、山本小鉄に連絡。「もう一度チャンスをいただけませんか?」と懇願し、再入門を許された。
ところがこの“出戻り”が後の人間関係に大きな影響を与える。本来なら先輩になるはずだった山本が、1カ月のブランクで後輩に。特に国士舘大柔道部出身で3歳年上の小原道由からは「めっちゃ当たりがキツかった」という。
だが、この小原こそが天山の代名詞「猛牛」を生んだキーパーソンだった。「ある日突然『お前、なんか牛に似てるよな』って言い出して。『牛だからギュウ山にするか』とかワケわかんないこと言って。内心『なに言ってんだ?』と思ったけど、それからずっと牛のマネをさせられた」。この一言がなければ「猛牛キャラじゃなかったかもしれない」と苦笑する。
新日本若手の慣例である寮生活でも壮絶な日々が待っていた。付き人を務めた橋本真也とのエピソードは特に凄まじい。「家来みたいな生活」。橋本が練習後もテレビを観てなかなか帰らないため、ちゃんこ番や電話番をさせられて気が休まる暇がなかったという。
そして衝撃の出来事が。「橋本さんがエアガンで撃ち落として調理したスズメを食べさせられて、翌日から体調不良に。せっかく100キロ近くまで増やした体重が10キロ減りましたからね。もうメチャクチャですよ」。痩せていく姿を心配した西村修から「目黒の寄生虫館で調べてもらったほうがいい」と言われ、実際に電話したが「うちは病院じゃないんで」と断られたそうだ。
さらに、獣神サンダー・ライガーから受けた“アンメルツ事件”も。「日本酒で泥酔させられてダウンしていたら、ライガーさんが自分の股間の先にアンメルツを塗ったみたいで…。激痛で飛び起きましたよ。『ちょっと勘弁してくださいよ!』って言ったら、笑いながら『効いた?』って。効いた?じゃないよって」。
そんな地獄の新弟子時代を乗り越えた天山は1993年から海外修行へ。1995年に凱旋し、リングネームを天山広吉と改め蝶野正洋らと「狼軍団」を結成。瞬く間にトップスターの座を掴んだ。
「いま振り返ったら笑い話で済むかもしれないけど、当時はめっちゃキツかった」。35年のキャリアを支えた原点には、誰もが逃げ出したくなるような壮絶な下積みがあった。
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