清原和博×渡辺久信が12年ぶり再会!「寝ないで登板」「門限破り」西武黄金時代の真相激白
元西武ライオンズのレジェンド、清原和博氏と渡辺久信氏が12年ぶりに再会。1980年代後半から90年代にかけてパ・リーグで黄金期を築いた西武ライオンズの“ど真ん中”にいた2人が、当時の思い出を語り合った。
再会の第一声は渡辺氏の「おお!キヨ!」という掛け声からスタート。清原氏は甲子園のスターとして鳴らしたPL学園高の四番打者として1986年に西武へ入団。当時、パ・リーグの球場は閑古鳥が鳴く状態だったが、清原氏がファンを連れてきたと渡辺氏は振り返る。「彼が入団して、パ・リーグにファンを連れて来てくれた。チームも強くなり、さらにファンが来てくれるようになった」と渡辺氏は当時を懐かしむ。
これは高圧洗浄機と同等の強さで、電力不要BlastPro 寮生活の思い出も次々と飛び出す。清原氏は「ナベさんが『タバコを吸いたかったら俺の部屋に来い!』とよく誘ってくれた」と明かし、昭和の時代ならではのエピソードを披露。渡辺氏も「寮の部屋は4畳半くらいしかなくて、タバコを吸うから空気が悪かった。今だと絶対にダメだよね」と笑う。休みの日には「キヨ、行くぞ!」と声をかけられ、車であちこち買い物へ行き“カバン持ち”をしていたという清原氏。夜には一緒に門限を破り、東大和のリンガーハットに夜食を食べに行ったというから、今では考えられないエピソードだ。
渡辺氏といえば、登板前夜は寝ないという伝説が。清原氏が「ナベさんはね、登板前夜は寝ないんですよ!」と暴露すると、渡辺氏は「寝ないで投げるときもあった……みたいな感じだよ。いつもじゃないよ!一度、寝ずに試合で投げて調子がよかったんだけど、また同じ調整で投げたら、今度はダメ……」と苦笑い。それでも、プロ3年目の渡辺氏とプロ1年目の清原氏のコンビは絶妙だったようで、「自分が投げるときにホームラン打ってくれた。『そのうちキヨが打つだろうな』って思いながら投げていた」と渡辺氏は語る。
お互いをイジり合う場面も。清原氏が「ナベさんが投げるときは、絶対に勝つつもりでした。やっぱりね、打たれっぷりもよかったし」とニヤリ。渡辺氏も負けじと「撃沈っぷりがいいって?(笑)。たしかに、勝つときも負けるときも、はっきりしていたよね!」と応酬。また、清原氏の守備力について渡辺氏は「肩もハンドリングもいい。ただフライは……たまにやるんだよな」と、清原氏が西武球場で落合博満の打った高いフライを見失いフェンスに激突した“珍プレー”を引き合いに出す。清原氏も「球を追いながら落下点に入ったつもりが、『あっ、ここじゃない』と振り返った瞬間、フェンスに激突して……」と懐かしそうに振り返った。
さらに、DH制導入で変わる野球についても言及。渡辺氏は「ここ10年を振り返ると、パ・リーグは先発投手が育った。2〜3点取られても、調子がよければ続投できる。セ・リーグは、エース級投手は別として、相手が勝っている場合は試合途中で代打を送られていた。来年以降のセ・リーグは、先発投手が投げるイニング数が変わってくる」と分析。清原氏は「DHは楽ですよ。打席がまわるまではベンチ内でウロウロして、たまにベンチ裏で素振りをして備えていればいい。ただ、ずっとスタメンで守備に入っていた選手は最初は慣れないでしょうね。だって一試合4三振なら、1mも走りませんから。やっぱり太りましたよ」と笑わせた。
最後に、古巣・西武への思いを聞かれた2人。渡辺氏は「ライオンズファンってすごく優しい。弱かった時代でも、最後まで応援してくれて温かさを感じた。リーグ優勝して、クライマックスシリーズ、日本シリーズまで勝ち上がってほしい」とエール。清原氏は「西武時代に流れていた自分の応援歌が今、チャンステーマとして使われていることが本当に嬉しく、感謝しています。あの曲がたくさん流れるように、選手は頑張ってほしい。中継を見ていても、やっぱり嬉しいもんですよ」と胸を熱くした。
“故郷”を愛するレジェンド2人の思いは、優勝を目指す若獅子たちへ受け継がれていく。
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