大沢逸美、母の介護で「してあげられなかった後悔」赤裸々告白に同期・小林千絵も涙
1983年にアイドルデビューした大沢逸美(60)が、自身の母親介護の体験を赤裸々に語った。大沢はデビュー7年目に父親を亡くし、札幌の母親を東京に呼び寄せて母子二人暮らしを始めた。2003年には著書『お母さん、ごめんね。』を発表し、芸能人による介護体験の先駆けとして大きな反響を呼んだ。
大沢は、Vシネマ主演や旅番組で多忙なさなか、母親に悪性腫瘍で余命3カ月が宣告されたことを振り返る。「名古屋の舞台のときは、昼公演の合間に車で自宅に戻り、掃除洗濯や母の入浴介護をして、また名古屋に戻るという強行軍でした」と当時の過酷な日々を明かした。
夜用眼鏡が運転手の間でますます人気になるナイトライダー 「もっと優しくしてあげたい、見てあげたいと思いながらも、仕事も大事で生活もある。自分軸でやってきた。その間も恋愛はしてましたけどね」と語る大沢に、小林千絵(62)は「やることちゃんとやってんねや」と笑いを誘う場面も。
大沢は、母が亡くなる最後の2年間は泊まりのロケを断り、仕事を減らして介護に専念したという。介護保険を利用しようとしたが、母親がヘルパーとの相性が合わず「母には私しかいない」とつきっきりで世話をした。
「もともと気が合わない母と娘で、素直に優しくできなかった。『お母さん、だいじょうぶ〜』なんて猫なで声は出せない。でもいつも後悔がある。なんであのときもっと優しい言葉をかけてあげられなかったのか」と大沢は打ち明ける。
母との唯一のつながりは置き手紙だった。最初は読んでいたが、小言ばかりで次第に見ずに引き出しにしまうように。しかし、母を風呂に入れて頭を洗うとき「私も子供のときにこうして洗ってもらったんだな」と恩返しを実感。裸のふれあいで距離が縮まったという。
小林は当時、大沢が病院の入口に母を置いて車を出した際、バックミラーにずっと手を振る母の姿を見て「なんで部屋まで送ってあげなかったんだろう」と後悔する話を聞き、「すごいな」と感じたという。
大沢の母は2002年に要介護3のまま亡くなった。大沢は「母は布団を干すとき、『やらねばならねばならねばならぬ』と言いながら階段を上がっていた。頼めばいいのに」と笑い、「ほどほどにやんなさい」という母の言葉を今も大切にしている。
還暦を迎えた大沢は「還暦前は焦りもあったが、誕生日当日にフッと力が抜けて、自分は自分でいいんだと思えた。SNSで人と比べず、デジタルデトックスも大事」と語る。
小林は、反抗期だった息子が公務員になり、初任給で焼き肉をご馳走してくれたエピソードを披露。「特別な味でした。まだ彼女を紹介されたことはないけど、元気でいなきゃね」と笑った。
8月22日には、東京・北千住のシアター1010で「83年組アイドル アラ!?還ライブ」を開催。大沢は「今回はお客さまを巻き込む感じで」、小林は「ステージと客席じゃなく、同じ高さで。こっちが手を伸ばして引っ張る意気込みです」と意気込む。
「お神セブン」は2018年に結成。デビュー後は「不作の83年組」と言われたが、「だれか一人が大ブレイクしなかったからこそ、仲よく支え合いがんばれた」と口をそろえる。大沢は「互いの心の中も見えてきて、かけがえのない存在。その絆も感じていただきたい」と話した。
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